2010年7月19日月曜日

半自動化した不可読性の怪獣の正体!?

今日は、海の日也!

これが、現在世界中でもっとも多く使われているというプログラム・ソースコードの正体になる。怪獣になる。

システムというのは、統制を取らないと、この様に無惨な仕事の結果となる。(面白い・金になるでは、収集が着かない。整然としているのは、表向きだけになる。)
現代っ子プログラマは、ほんとうに気の毒になる。
ただ、プログラマとて知っていて黙っている男は、決して戦争の悲惨さを語ろうとしない、慈善家にも等しい。忙しく、手に負えないではなく、問題認識としてのエントリだけでもほしい。それが、民主主義の基本だと、信じている。(ほんとは、気になってはいるとか? )・お願いだから!

それは、実際に、社会のポリシーは、常に不用意な残業代の支払いを拒否する。また、あなたの奥さんや子供が、現実に扱っているソースが如何に難解かに興味はなく、予定通りの将来設計を望んでいる。(それは、ウチの娘に聞いてほしい。)
暗黙の反響...場合によって、システムとは何かという再度・論議が必要か?という議論の方も気になる。~atom()。。。

3 件のコメント:

  1. ◆リテラシー族の間には、ディラックの言葉を借りか分かりませんが、『研ぎしまされた究極の姿は、美しい!』とかいった過去の論議があった。今となって、ほんとに空しい。

    生活の中にコンピューティングのある姿とは、機械を使いこなす図ではない。
    私(達)の生活、仕事のことは機械にさせ夕方5時半までに早く切り上げ、昼のことを忘れ屈託のない話をする余裕のある絵を、今も描き続けている。
    その為には、先ず議論がいる。///

    返信削除
  2. 要するに、生産効率を上げるには、どうしたら良い? > (みんな)

    返信削除
  3. TITLE:この道で正しいのか?

    私が、『ディラック』を批判しているとの見方があれば、誤り。情報源は次の通りなので、下記に示します。
    また、今テレビを見ていて、私が ~シカゴ大の『南部陽一郎 先生』の影響を受けているのではないか?との啓示にも似た...で、~ これに関連があるかなと思ったことは、次の通り。
    実際に今、過去のバックナンバー『日経サイエンス 2007年05月号 日本語版「特集・湯川秀樹・生誕100年《湯川と朝永から受け継がれたもの》」[著]南部陽一郎』を、思い出し読み返してみる。その記事には、南部先生が西暦1950年代後半ウイスコンシン州マジソンでウィグナー(Eugene Wigner, 素粒子理論における対象性の発見で1963年にノーベル賞)先生から、ゼミ受講した記録が記事になっていて、それを読んで共感得た覚え記憶がある。
        
    ただですね、1985年頃からプログラマ同業に同じような語り口(の幼稚さ、)、『ディラック』(ディラック先生は、後で知った。)に類似した論には、漠然としてかなりの違和感を、持ち続けていたところになる。それと『ディラック』先生を、どうとかいっている訳ではない。『ディラック』のことは、よく知らないし、物理のことは良くわからないが、あるべき求める方向とは別に、現実にあたかも大きな意図と一つの方向へ収束する力が働いていると見るのは、あまりにも危険が大き過ぎはしないかと、自戒している。現実は歴史として、歴史は事実として受け入れる必要があると、私は、いつも考えている。《以上》

    返信削除